

世界で最も重要なキーワード「サステナビリティ」
それは、将来のことを考えて、今の選択をする考え方です。人類と地球の未来のことを考え、環境・社会・経済の3要素の調和の上に成り立つ「サステナブルな取組」を私たちは育んでいきます。でも、人類や地球、未来などというと、どこか自分事化できないと考える人も多いでしょう。だから、サステナブルタウンでは、次の3つの基本的な考え方を大切にしています。
1 人類や地球をブレイクダウンして考え、一つ一つのコミュニティや地域から育み合っていきます。
2 従来延長の視点ではなく、少し遠い未来の当たり前を共に描き、その価値観を大切にして「生きる今」に取り組んでいきます。
3 多様な主体や手法、取組、分野を超えたより本質的な目的を共に見出す「対話」と、力を合わせていく「協働」で、ずっと続く好循環を創出していきます。
ウェルビーイング=より良く生きようとすることは自分だけでなく他者や社会全体の幸せを考え合い、学び合い、育み合う、
そして、高め合ったり、活かし合ったりといったお互い様の「合い」がある関係を大切にするライフスタイルです。
これからの時代の成長にとって欠かせない考え方としてサステナビリティとウェルビーイングがコミュニティや地域の成長につながるよう支援していきます。
まちづくりとは、今を生きる私たちが未来へ届ける贈り物。
私たちは、サステナブルなまちづくりの専門家です。





株式会社サステナブルタウンの代表である萩元は、高校一年生からまちづくりに興味を持ち、大学では政治学・行政学を修め、2007年に小平市役所へ入庁。公務員として約12年間、主に市民協働・官民協働事業を担当してさまざまな分野・形態・規模のイベントを数多く実践することとなります。
創業にいたるきっかけは2010年、事業を次々に改革し、市全域に仕組み化した「地域防災」の取組に他県から視察が来るようになり、講師としてデビュー。その際に「小さな地域の実践が大きな社会の道標になる」という可能性を心に強く灯すようになります。
1日に約1~2本のペースでワークショップをファシリテートするなど、学生時代に学んできた理論を市民協働という実践でアンラーンし続ける日々を送ります。
国立教育政策研究所での講演をはじめ、全国からの視察や問合せ対応、文部科学省局長やイギリスの青年教育担当者の訪問も受けるなど、公務員として勤務しつつ、各地でのまちづくりに関する講演や助言、専門誌への執筆などの仕事に携わっていく中で、「社会に責任を果たしていくことでより良い地域が育まれる」という想いが日に日に強くなります。
きっかけ




転機となった2015年、 「東京2020大会はまちづくりの最大のチャンス」と考え、東京都庁のオリンピック・パラリンピック準備局派遣の公募に手を挙げます。
東京都では全国の多言語対応を推進する職務を担い「やさしい日本語」「多言語音声翻訳」「小売業の多言語対応」などの大きなレガシー創出に携わる中で、オリンピック・パラリンピックの三大キーワードの一つである 「サステナビリティ」を本格的に考えるようになります。国連でのSDGs採択もこの時期に重なります。
サステナビリティを深く学ぶにつれ、これまで学び実践してきたまちづくりと全てが結びつき、「サステナブルタウン」という理想と起業のビジョンが鮮明になっていきます。
転機と着想




東京都派遣を終え、小平市役所に戻り、東京2020大会に向けて市内観光施設のネットワーキングに取り組み、プロジェクトチームを市職員・市民それぞれ立上げ、2020年に向けた各取組とレガシー創出について計画を終え、小平市役所を退職します。2019年のことでした。
「まちづくりの経験を存分に活かせる」という理由で「東京2020大会を選手村で迎えたい」と考え、東京2020組織委員会に転職します。そこでは、サイネージや装飾(今でも選手村跡地に数多くレガシーとして残っています)、選手村村長・VIP対応、COVID-19対策などを担いました。
市役所ではローカル(地域)、都庁ではソーシャル(社会)、組織委員会ではグローバル(世界)という領域でイベントを経験し、様々なステークホルダーと協働するうち、「各個人の主観と経験に基づくイベント企画・運営の限界」を感じた萩元はあらゆるイベントの基礎としての「ローカルイベント学」の必要性を感じ始めます。
なお、萩元は東京2020大会にその3つで携わった唯一の者となりました。東京2020大会とまちづくりについて55回に及ぶ月刊連載も書き終え、「国際平和」と「人類の成長」という2つの目的があるオリンピックに向き合い続けた6年半の活動に一区切りをつけます。
3つの視座




屋号 「サステナブルタウン」を名乗り、萩元はまず個人事業主活動をスタートさせます。それまで以上に各地でのまちづくり活動に関わるようになり、それぞれのまちの歴史や成り立ちを学ぶ中で、まちを 「先人からの特別な贈り物」として捉えるようになります。同時に、「いまの世代が将来世代へより良い未来をどのように贈っていくことができるか?」という永遠の問いを常に心に抱くようになります。
個人事業主期間中も、東京都の宮坂副知事らとのパネルディスカッションや日本郵政初のやさしい日本語研修など、話題性のある取組も数多く実践した他、公務員勤務時より縁の深かった株式会社エンパブリックの広石代表と株式会社USPジャパン及びジャパンショッピングツーリズム協会の新津代表に声をかけてもらい、民間企業の立場で多くのプロジェクトに関わり会社経営を学びます。そして、トライ&エラーを繰り返しつつ直近の事業計画を、起業家の諸先輩や専門家に助言を貰いつつ2030年代までの創業計画を練りました。
起業と新たな学び





2024年6月5日(世界環境デー)に法人成りするかたちで株式会社サステナブルタウンを創業。2015年の着想から9年を経てしまいましたが、その期間中の特別な経験も大きな強みとしてサービスに活かされています。
たくさんの支援を受けながら立ち上げた会社です。社会からの期待に応えるだけでなく、自ら社会に提案していくため、ソーシャルビジネスを事業化していきます。第一弾は、「雨の日の気分と経済の落ち込み」という誰も効果的な手立てを講じていない大きな社会問題に「アート」の視点で取り組みます。
まちづくりの目的は、サステナブルな未来とウェルビーイングな暮らしを創造すること。サステナブルタウンづくりに一緒に取り組む方との出会いを楽しみにしつつ、いよいよスタートします。
はじまり、そしてこれから

